鈴木亜久里(すずきあぐり)/ひと
プロフィール
鈴木 亜久里(すずき あぐり)
スーパーアグリF1チーム代表
ARTAプロジェクト・プロデューサー
1960年9月8日生まれ、埼玉県所沢市出身
埼玉県立新座高等学校、城西大学理学部卒業
これまでの足跡
| 1972 | 12歳でカートデビュー。 |
| 1978 | 全日本カート選手権A2クラスのチャンピオンとなる。 |
| 1979 | 全日本F3選手権デビュー。 |
| 1981 | 全日本カート選手権A2クラス2度目のチャンピオン。 |
| 1983 | 全日本F3選手権シリーズ2位。 |
| 1985 | 全日本ツーリングカー選手権チャンピオン。 |
| 1986 | ル・マン24時間レースに初参戦、グループAのチャンピオンとなる。 |
| 1988 | F1デビュー。日本GPでヤニック・ダルマスの代役としてラルースチームからスポット参戦。全日本F3000選手権シリーズチャンピオン。 |
| 1989 | ザクスピード・ヤマハチームでF1にフル参戦。 |
| 1990 | ラルースチームに移籍。イギリスGPでは6位入賞、日本GPでは3位に入賞し、日本人初の表彰台を獲得。その後フットワークチーム、リジェチームのドライバーとしてF1で戦う。 |
| 1995 | 日本GP予選中のクラッシュで負傷し、F1のドライバーを引退。 |
| 1996 | スーパーアグリカンパニーを設立。ドライバーとして全日本GT選手権GT500クラス、ル・マン24時間耐久レースに参戦。 |
| 1997 | オートバックスと提携、ARTA(Autobacs Racing Team with Aguri)プロジェクトを立ち上げる。 |
| 1998 | ル・マン24時間耐久レースで総合3位に入賞。F1とル・マンの両方で表彰台に上がった、最初の日本人となる。 |
| 2000 | それまでドライバーとしても活動もしていたが、この年のシーズンを最後にドライバーから完全に引退、ARTAプロジェクトの運営や若手選手の育成に、本格的に取り組む。 |
| 2001 | ドイツF3に参戦。ARTAの金石年弘がシリーズチャンピオンを獲得。 |
| 2003 | エイドリアン・フェルナンデスと共にスーパーアグリ・フェルナンデス・レーシングを設立。アメリカのインディーカーレース、IRL(Indy Racing League)に本格参戦を開始。 |
| 2004 | ARTAプロジェクトのプロデューサーとして、IRL、全日本GT選手権に参戦。 |
| 2005 | ARTAと童夢、ホンダのジョイントによって誕生したTeam Honda Racingの代表に就任。スーパーGT(旧・全日本GT選手権)に参戦。11月にスーパーアグリ・フォーミュラ1として翌年からF1に参戦する事を発表。 |
| 2006 | 現在、スーパーアグリF1チーム代表、ARTAプロジェクトのプロデューサーを兼務。 |
ガンバレ、鈴木亜久里!!
F1参戦
元F1ドライバーの鈴木亜久里氏が、スーパーアグリ・フォーミュラ1として翌年からF1に参戦する事を発表したのは、2005年の11月1日の事でした。これまでにも、F1チームのスポンサーになった日本の企業は沢山ありましたし、日本の自動車メーカーがF1チームにエンジンを供給するのも、今ではそれ程珍しい事でもなくなりました。
ですが、自動車の製造や販売を手掛けているわけではない会社が、F1チームのオーナーになるというのは今度が初めてです。一見、無謀とも思える挑戦に、「どうなるんだろう?」と不安と期待の入り混じったような感覚を持ったのを覚えています。
ドライバー、鈴木亜久里の功績
モータースポーツの人気が高いヨーロッパではF1も大人気で、春から秋にかけて行われるワールド・チャンピオンシップ(日本語で言うなら世界選手権ですか)に参戦するチーム、ドライバー共に、殆どがヨーロッパ勢で占められています。そんな状況の中、1990年の日本GPで初めて表彰台に上がる偉業を成し遂げた日本人ドライバーが、鈴木亜久里氏でした。
その後、2004年のアメリカGPで佐藤琢磨選手(現在スーパーアグリF1チームのドライバー)が3位表彰台を獲得するまで、F1というトップカテゴリーで、鈴木亜久里氏は唯一表彰台に上った日本人であり続けました。この間14年間という長い歳月がかかった事からも、彼の成し遂げた事の偉大さがご想像頂けると思います。
スーパーアグリF1チーム
そんな鈴木亜久里氏率いるスーパーアグリF1チーム(2006年3月26日にスーパーアグリ・フォーミュラ1から名称変更)は、タイヤはブリジストン、エンジンはホンダが供給、そしてドライバーは佐藤琢磨と井出有治の両選手というオールジャパンチームとして、大きな注目を集めています。
F1参戦発表から僅か130日という短期間で、開幕戦であるバーレーンGPの出走にこぎ着けた事は、海外のメディアでも驚きを持って取り上げられました。決勝のスターティンググリッドに2台のマシンが並んだのを見た時には、いやあ、ホントに嬉しかったあ。それと同時に、これから何かが始まろうとしている、というワクワク感を感じました。
厳しい洗礼
もちろん、ここまで全てが順風満帆だったわけではありません。1度目の申請でFIA(F1というスポーツを取り仕切る団体)からの許諾が受けられず、再度申請をし直すために他の参加チーム全ての承認を受けなければならなかったり、旧アローズの使用していた車体をベースにマシンを作ろうとしたら、2年前以内に使われていたモデルは著作権上の問題で使用が認められず、急遽4年も前(各チームが最新の技術を投入してマシンを開発するF1の世界で、4年前のモデルというのは化石に近い)のモデルをベースにマシンの開発を迫られる事になったりしました。
また、今シーズン第4戦目のサンマリノGPで、井出選手とミッドランドチームのアルバース選手との接触事故について、FIAから井出選手に対して今シーズン中のスーパーライセンス剥奪、という厳しい裁定が下った事も、チームにとっては大きな衝撃となりました。亜久里氏にとって、彼の愛弟子でもある井出有治選手の降板を迫られた事は、辛い出来事だったに違いありません。
可能性への挑戦
ですが、F1参戦発表からここまでの間、スーパーアグリF1チームは幾つもの試練に合いながら、1つずつそれらを乗り越えて来ました。ドライバーの件にしても、幸いな事に昨年のチャンピオンチームであるルノーチームでテストドライバーを務めた経験もある、フランク・モンタニー選手という心強い選手の加入によってピンチを切り抜けましたし、レースでのパフォーマンスも少しずつですが、確実に上がっています。
シーズンが始まる前、鈴木亜久里氏はご自身でこんなことをおっしゃっていました。「F1に参戦して、世界の舞台で戦うというのは、エベレストに登るようなもの」だと。自らの立ち向かおうとする状況の厳しさを痛切に感じながら、それでも一歩ずつ登り続けていれば、必ずいつかは頂上にたどり着く事ができるはずだという彼の信念と、そして必ずたどり着いてみせるという強い意志が現れた言葉だったように思います。
そんな強い意志と信念をもって挑戦を続けている鈴木亜久里氏を、biteJAPANは応援します。彼の眉間のシワが深く刻まれる時、サングラスに隠れた瞳から涙がこぼれそうな時、いつだって応援してます。
ガンバレ、鈴木亜久里!!
これまでのスーパーアグリF1チーム
2006年シーズン
様々な苦難を乗り越え、スーパーアグリF1は遂に2006年の開幕戦であるバーレーンGPへの参戦を実現させました。けれども、シーズン前のテストが実質3日間、最高周回数にして僅か10周しか実施できなかったこと、資金が潤沢ではなかったこと、アロウズA23という4年落ちのマシンをベースにした、他チームよりも遥かに戦闘力の低い、SA05でシーズン前半を戦わなければならなかったこと等の事情から、スーパーアグリF1にとって2006年シーズンは厳しい状況が続くこととなりました。また、こうした諸事情に加え、1日も早くより戦闘力の高い新車、SA06を投入するためにも力を注がなければならなかったことも、こうした厳しい状況に追い討ちをかけることになりました。
更に、井出有治選手の降番という新たな苦難がチームに降り掛かります。FIAは2006年5月10日、井出有治選手のスーパーライセンスを剥奪、少なくとも2007年シーズンまでは、F1ドライバーへの復帰を禁じるとの決定を下したのです。この決定により、セカンドドライバーを失ったスーパーアグリF1は大きな危機に直面することになりました。しかしチーム代表鈴木亜久里氏は、緊急の対応策としてサードドライバーであったフランク・モンタニー選手を、一時的にセカンドドライバーに昇格させることで、チームの危機を何とか乗り切りました。
フランク・モンタニー選手はその後、第12戦のドイツGPで、2006年6月8日からスーパーアグリのサードドライバーとなった、山本左近選手とポジションを入れ代わるまで、第5戦のヨーロッパGPからホームグランプリでもあるフランスGP(第11戦)まで7戦を戦い抜きました。
ドイツGPでは、ようやく新車SA06Aがサーキットにお目見えしますが、フロント周りはまだSA05のパーツを流用したものでした。続く第14戦、トルコGPでは待望のフロント部分を含めた完全バージョンのSA06が投入され、こちらはSA06Bとして1戦前に登場したバージョンとは区別されました。このニューカーの登場によってマシンの戦闘力は強化され、少なくともミッドランドF1チームとバトルが演じられる程度まで、そのパフォーマンスは向上しました。
結局、2006年シーズンはポイント無し、参加11チーム中11位という結果に終わり、スーパーアグリはF1の世界で苦境に立たされたまま、2006年のシーズンを終了しました。けれども、シーズンが始まるずっと前から、亜久里氏もこうした苦しい状況は覚悟の上だったでしょうし、おそらく実質的には2006年が「勉強」のためのシーズンになるであろうことにも、納得しておられたんではないかと思います。
そんな中、シーズン最終戦となったブラジルGPでは、佐藤琢磨選手がシーズンベストリザルトとなる10位でフィニッシュ、また山本左近選手がトップチームから1秒と離されていない、ファステストラップ7位という、来シーズンに向けて手応えのある結果を残せたことは、確かな進化の証と捉えることができますし、近い将来の前進を期待させてくれるものでした。
2007年シーズン
2007年3月14日、スーパーアグリF1は今シーズンの開幕戦オーストラリアGPが行われるアルバートパーク・サーキットで新車SA07をお披露目しました。しかし、この新車にはホンダの協力を得た新しいシャーシが使われていることから、ライバルチームであるウィリアムズやスパイカーから、「カスタマーシャーシではないか」との抗議の声が上がりました。カスタマーシャーシであった場合、2007年のF1のレギュレーション(規定)に違反することになります。(2007年まではカスタマーシャーシの使用は厳禁、2008年からは解禁となるそうです。)
とは言え、スーパーアグリはここまでの数々のテストもこの車で消化して来ていますし、既に対外的な発表も済ませていることから見て、おそらくスクデリア・トロ・ロッソチームと同じく、レギュレーションの隙間を上手くすり抜けた、と考えていいのではないでしょうか。
ドライバーについては、佐藤琢磨選手が昨シーズンに引き続きファーストドライバーズシートに、そしてイギリスF3選手権時代、彼のライバルでもあったアンソニー・デビッドソン(ホンダF1チームの前サード兼テストドライバー)がセカンドドライバーズシートに、それぞれ座ることになっています。また、スーパーアグリF1はオランダ人ドライバー、ギド・ヴァン・デル・ガルデ選手を2007年シーズンのサード兼テストドライバーとして起用すると発表していましたが、彼はどうやら交際中の女性の父親がその所有権の一部を持つと言われる、スパイカーチームのテストドライバーに納まるとみられています。
2006年シーズンの後半戦で、セカンドドライバーとして活躍した山本左近選手は、今期もスーパーアグリF1にテストドライバーとして残留する傍ら、GP2への参戦を表明していると伝えられています
最終更新日2007年3月16日

